Wednesday, December 18, 2013

ノルウェーの司法: 修復的司法と応報的司法の対比

ツイッターでノルウェーの監獄が快適すぎると写真付きで話題になっている。元ネタは TIME 誌のこの特集記事のようだ: Inside the World's Most Humane Prison
2011 年ウトヤとオスロで計 77 人を殺害したテロリスト、Anders Breivik が収監されると見られている刑務所を取材している。正直私の自宅よりよっぽど快適そうなので移り住みたい。TL でも「APLAS (という学会) に参加したらノルウェーの監獄並の施設に寝泊まりできますよ!」とか言われたい放題だ。

何でそんな事になってるのかと思って (TIME の記事では「社会復帰を促すため」の一言しか書いてない)、ノルウェーの司法制度について調べた所、the Atlantic のこんな記事を見つけた。A Different Justice: Why Anders Breivik Only Got 21 Years for Killing 77 People
ノルウェーは修復的司法なので応報的司法のアメリカ(日本も)とは根本的に考え方が違うという解説記事。結構衝撃的な意識の違いだ。記事の内容はここに要約しておくが、出来れば原文を読んだほうが良いと思う。

Breivik 裁判では被害者や遺族が、死んだ被害者の夢などを陳述した。Breivik の前で、死んだ77人全員分、一人一人(というか一家族ごと)に十分な時間が与えられて嘆きを遺族同士共有しあう機会が与えられたのだそうだ。裁判の一環として。これは証拠や、量刑を重くせよという情緒的圧力として行われたのではなく、感情を吐露する場を与えることによる被害者のケアのためであり、また加害者に己の罪を意識させるためでもあるという。(勿論裁判では証拠の精査なども行う。)刑務所の整った環境も修復的司法の一環で、受刑者が自分の罪と向き合う痛みへ向けた準備の手助けなのだそうだ。Atlantic の記事によれば、端的に言えば (日米などの) 応報的司法では「因果応報」という抽象的な正義を満たす事を目的にしており加害者は受動的に罰を受ける立場なのに対し、ノルウェーの修復的司法では加害者は積極的に罪と向き合い被害者や社会に対して可能な限りの償いを立場なのだと。また修復的司法では加害者は「罰せられるべき悪」ではなく「修復されるべき壊れた個人」であり、刑も「罰」ではなく「強制治療」なのだという事だそうだ。記事によればこのシステムは犯罪率を下げ、犯罪者収容のコストも下げ(!)、再犯率も下げるのだという。

※「こんな至れり尽くせりしといてコストが下がるわけないだろう!」とかいう人がいるかも知れないので念の為言っておくと、受刑者一人あたりのコストが上がってもその結果再犯率が下がり、重犯罪に走る前に軽犯罪だけで更生する人が増えるなら全体のコストは下がる。

いかにも北欧らしい進歩的で合理的なシステムだ。遺族感情が気になるところだけど、報道を見る限り割と判決に満足してるらしい。ただし遺族感情に関する統計的なデータは出ていない。死刑廃止とかもこういう修復的司法の潮流の一部なんだろう。

※ Breivik に言い渡された 21 年の刑期はノルウェーでは最長。ただし Breivik に限っては修復的司法の目指す積極的な修復行為を行わない (平たく言うと反省してないし、しない) ので事実上死ぬまで刑期が延長され続ける見込み。修復的行為に至るまで、いつまででも強制的に療養させるぞという事か。

この記事を見て、日本の司法制度についても色々言われている事についてちょっと見方が変わった。その最たるものは死刑存廃議論だ。日本の死刑廃止論ではどうも冤罪の可能性がどうだとか、死刑自体の犯罪抑止効果がどうだとか、遺族感情のためには殺すしかない、いやそれは野蛮で不毛だとか、死刑そのものしか見てない議論の声が非常に大きい。しかしノルウェーのシステムを見る限り、死刑廃止はむしろもっと大きく包括的な司法制度改革に根ざしているようだ。つまり
  •  罰するのではなく、罪と向き合わせる (苦しめるのではなく、後悔させる)
  •  因果応報ではなく、感情や関係の修復を目指す
という目的の転換を経て、その一環として「じゃあ死刑は要らないや」となっているのであって、単に死刑だけが何か特に野蛮だから止めとこうという話ではないという事だ。なるほど、これは確かに近現代の「次」の社会のあり方として良さそうではある。

しかし、修復的司法を今すぐ日本に導入しても (日本の重大犯罪の) 被害者や遺族は納得しないだろうと思う。私もきっといまいち納得できないだろう。目には目を、の正義観が意識の底まで刷り込まれているから。悪いことをした奴には損をしてもらわないと気がすまない。こうした処罰感情はきっと説得によって動かされることは殆ど無いだろうと思う。こういう根深い感情は、それを抱いている人達が世代交代で死に絶えることによって変革されるものだからだ。でも、被害者のケアとしての裁判中の陳述機会を与えたりとかいうのは割とすぐ受け入れられる可能性がある。そうした修復的司法の手法を少しづつ導入することを目指したら、次の世代ぐらいには意識が変わって死刑廃止論はもっと受け入れられやすくなってるのかも知れない。

追記: 勿論、既にそういう方向性で死刑廃止論とかを含めた司法改革を求めている人はいるんだろうけど、それがもっと一般的になったほうが建設的なんじゃないかという話。

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